「白い器」が似合う食卓

白い器

白い器が好きです。
特に、和の食卓にそっと寄り添うような、素朴で品のある白。

華やかさはなくても、煮物や焼き魚、炊きたてのごはんをすっと受け止めてくれる。
そんな器がひとつあるだけで、毎日の食卓に静けさと整いが生まれます。

料理を引き立てる「余白の美」

和の器は色や模様が豊かで、季節を映す絵付けのものも多いですが、白一色の器にはまた別の美しさがあります。

素材の表情がそのまま見える、釉薬のゆらぎ。
光の加減で変わる陰影。
そこに料理がのると、自然と色味が引き立ち、品のある佇まいになるのです。

盛りつけに迷ったとき、白い器に助けられたことが何度もあります。
少しの青菜、だし巻き卵、切干大根の煮物。
どんな料理もすっきり見せてくれて、変に気取らず、でもきちんと美しく見える。

真っ白ではない「和の白」を選ぶ

和食に合う白は、いわゆる真っ白ではなく、どこか温かみのある白。

生成りや灰白色、粉引(こびき)のように、土の風合いがうっすら透ける器も素敵です。
光沢のある磁器ではなく、少しマットでやわらかな陶器の手触りも、どこかほっとするものがあります。

茶碗、小鉢、長皿、めし椀。
形も色もシンプルなのに、手に取ったときに「いいな」と思える器に出会えると、料理が少し楽しみになります。

定番の和食が映える器

たとえば、白い浅鉢に肉じゃがを盛る。
あるいは、焼き鮭を横長の白い皿に置くだけ。

それだけで、何気ない一汁一菜のごはんが、整った「食卓」になる。
器を変えるだけで、料理の見え方も、食べるときの気持ちも変わるのだなと感じます。

派手ではなくても、暮らしを支える日用品としての美しさが、白い和の器にはあると思います。

使うほどに、うちの器になる

白い器は、たしかに汚れが目立ちやすいかもしれません。
でもそれもまた、使い込む楽しさのひとつ。

貫入(かんにゅう)と呼ばれる釉薬のヒビ模様がゆっくりと入っていく様子も、器が育っていくようで私は好きです。

丁寧に洗って、やさしく拭いて、棚に戻す。
そんな何気ない所作ひとつひとつが、暮らしの時間を落ち着かせてくれる気がします。

暮らしを、すこし整えてくれるもの

白い器には、どこか「静けさを整える力」があるように思います。
忙しい日も、料理があり合わせでも、器がきちんとしていれば、不思議と食卓の空気が整う。
余白のある器は、余白のある暮らしにつながっているのかもしれません。

毎日すべてが丁寧じゃなくてもいい。
でも、「この器で食べたい」と思える道具がひとつあるだけで、暮らしの手触りがほんの少し変わる。
白い器は、そんな変化をそっともたらしてくれる存在です。