“無駄”があるから、暮らしは味わい深くなる

わびさび

「どうすればもっと時短できるか」「無駄を減らすにはどうすればいいか」
そんな問いが、私たちの毎日を支配しているように感じることがあります。

仕事も家事も、効率化はとても大事です。
でも、すべてを「最短ルート」で片づけようとすると、だんだん心の余裕がなくなっていきます。
なぜか味気なく、どこかせわしない。
たしかに時間は生まれているはずなのに、その時間をどう使えばいいのかわからなくなる。

そんなとき、ふと日本の「侘び寂び」の美意識を思い出しました。
完璧でも便利でもないものに、なぜか心が惹かれる。
そこに、私たちが置き忘れてきた「ゆとり」のヒントがあるように思うのです。

不完全さや「無駄」を愛する日本の美意識

茶室に入るためには、身をかがめて「にじり口」から入らなければいけません。
これは、身分の高い人も低い人も、頭を下げて一緒に茶を楽しむという、丁寧な所作の表れです。
効率だけで考えれば、入り口は大きくて通りやすい方がいいはずなのに、
そこに「あえての不便さ」があるからこそ、気持ちが切り替わる時間が生まれる。

同じように、茶碗のかたちが少し歪んでいたり、
枯山水の庭に余白が多く残されていたり。
それは、どこか「物足りなさ」のようでいて、むしろ心が安らぐ不思議な感覚を与えてくれます。

この「わざと不完全にしておく」「無駄に見える部分を残す」という美意識が、今の私たちの暮らしにもじんわり効いてくる気がしています。

やらなくてもいいことが、自分を整えてくれる

暮らしの中にある、ちょっとした「無駄」。
それは、実は私たちの自律や豊かさを支えてくれているのかもしれません。

寄り道する時間をあえて残す

買い物の帰りに、少し遠回りして散歩してみる。 道草のような時間があると、気持ちに余白ができます。 思考が整理されたり、ふと新しいアイデアが浮かぶこともあります。

効率より「スイッチ」を選ぶ

朝、白湯を飲む。 玄関を掃く。 お茶を丁寧に淹れる。
ほんの数分のことですが「今から始めるぞ」というスイッチになります。
ただのルーティンではなく、気持ちの切り替えになる小さなルーティーンとして取り入れてみてください。

3. 完璧にしないことを許す

家の中がちょっと散らかっていたり、夕飯がレトルトの日があったりしても、それは「人間らしさ」です。 完璧じゃなくてもいいと、自分に言ってあげること。不完全さを受け入れることが、自分への優しさにつながります。

効率を手放したとき、本当の豊かさが見えてくる

私たちはつい、「やらなくてもいいこと」は省くべきだと思ってしまいます。
でもその「無駄」の中にこそ、気持ちを整える要素や、暮らしの味わいが詰まっているのかもしれません。

侘び寂びの美しさは「欠けていること」を美とする視点。
完璧じゃないからこそ、そこに余白があり、深みがある。

すこしだけ効率を手放して「やらなくてもいいけど、やる」ことを暮らしに残してみる。
その選択が、息苦しかった毎日にふっと風を通してくれるはずです。